義務教育にはない!?デザインの授業
いきなりですがデザインってなんでしょう? こちらではこのように書かれています。
「美しさ」や「使いやすさ」などの狙いを実現するために創意工夫すること、および、その創意工夫の成果を反映させた見た目や機能のあり方のこと。多くの場合「図案」「模様」「設計」「造形」「構想」などと言い換えられる意味合いで用いられる。
引用:weblio辞書(実用日本語表現辞典)
みなさんはこれまでの中でデザインを詳しく学んだ方っていますか?
恐らくほとんどの方は『NO』のはずなんです。
なぜなら日本人は学生時代に「デザインの授業」と言うものはカリキュラムとして存在しないから。
どうかすると芸術系の学校に行った方ですら受けていないくらいにデザインを学ぶことから離れて生活を
しているんです。
だけど日本はなぜかデザインが「できる」と思っている方が多いという摩訶不思議な国だったりするんです。
デザイン思想のないことで発生する問題とは?
これは我が家のオーディオのリモコンなんですけど・・・
みなさんはこれ、初見で操作分かりますか? かなり分かりにくいですよね?
だとすると、このリモコンにはマニュアルが必要です。
わざわざ本体のところまで移動しなくて済むように、いろいろな機能をリモコンに集約させるんだ!
そういった意図があったんだろうと思うのですが、結果として
『リモコンの操作を覚える』
と言うアクションが必要になってしまい、万人向けではないリモコンが生まれてしまった。
これ、かなり本末転倒なことだと思いませんか?
そうなってしまえば当然ですが使いこなす人は限られてきます。
だとすれば稼働率も落ちます。
最終的には要らないもの扱いされる日はそんな遠くない日には訪れるはずです。
現実問題として我が家ではこのオーディオ機器は使いこなすことができずに基本放置。
使っている本人すらもリモコンはボリューム以外に触れていないと言う状況です。
さらにこの機器、操作の結果が本体の液晶に出てきますが、表示が小さいものも多く、
結局離れたところからでは判断できないことも。
結果本体に近づいて操作するので、リモコンで操作する意味がなくなってしまいました。
(製品自体は決して悪いものではないんですよ!)
では今度は某有名巨大通販サイトで販売されてるアレのリモコンを見てみましょう。
これならある程度の方であれば操作できそうです。
なによりもボタンが少ないのがいいですよね。
操作は全て画面を見ながらで行いますし、これなら最初の設定はある程度は面倒なこともあるでしょうが
以降は子どもでも操作できると思います。
これも『デザイン』なんです。
ユーザービリティよりも作り手の都合を優先しがちな日本社会
日本ではこの『ユーザービリティ』と言うものがとにかく苦手です。
ユーザービリティとはいわゆる『使い勝手』のこと。
この使い勝手の考え方が控えめに言っても『ズレている』んです。
先程のリモコンもそうですね。
リモコン=本体に移動しなくても操作ができる
これがいちばんの利点なわけですが、ここで日本のデザインが迷走をはじめます。
リモコンで操作できる機能が多い方がより移動を減らすことができて便利なはず!
→よし、じゃあリモコンを多機能にしよう! ボタンも増やそう!!
あれ?本体に近寄らなくても良くなったんだから本体にボタン必要なくない?
→じゃあ本体からボタン減らそう。本体シンプルになって見栄えも良くなった!
リモコンがややこしいってクレームが・・・
→ならリモコン用のマニュアル作れば良いじゃないか
これ、どうでしょう?
あまりにリモコンという機能に固執しすぎていて、ユーザーの使い勝手が後回し、下手すると完全に無視されていませんか?
いやいや嘘でしょ?って思うかもしれませんが、残念ながら事実です。
そうでなければあんなオーディオのリモコンは生まれてきませんよ。
このように日本のデザインはユーザーよりも作り手やメーカー側、つまり会社都合によるものがあまりにも多いわけです。
だから日本ではデザインが軽視される
辞書でも説明があるようにデザインと言うものは創意工夫の結果を反映させる手段の一つです。
その手段の使い方がエンドユーザーではなく、会社側の都合に偏っている。
これが日本のデザインあるあるです。
そうやって出来上がった後になって、ユーザービリティを考えます。
みなさんも見たことありませんか? 最近の製品のマニュアルって『設置・設定編』『操作編』みたいに分かれているのを。
ものによっては1枚ペラの『クイックマニュアル』とかついてるケースもありませんか?
この時点で既にユーザービリティ皆無の製品を作ってしまっているんです。
ここまでそういったことを考慮できるデザイナーが介入していなかったわけです。
それはなぜ?かんたんですね。コストがかかるからです。
現在の日本はコストに関してものすごくシビアになっています。
それは日本も世界に向けた戦略を行うようになってきたから。
海外の安い製品やサービスに太刀打ちしなくてはならなくなったことで価格競争の波に飲み込まれてしまいました。
その結果、削れる部分は積極的にとことんまで削っています。
じゃあなぜデザイナーを削ったのか?
・・・実はそうではありません。元からいないんです。
日本ではこういった部分に世界では必要とされているはずのデザイナーが不在なんです。
いなくても今まで作れてきたし、それなりに売れていた。
各社そういった自負もあるわけです。
ではなぜ売れていたのでしょう?それは日本全体でそれが当たり前の文化を築いていたから。
・リモコンがややこしくても他メーカーも同じだから当たり前。
・操作が難しくても他社も同じだからユーザー側が覚える努力をするしかない。
それをユーザー側も受け入れていたわけです。
それが当たり前だったから、はじめからデザイナーはいません。
そして今、この時代になってもコスト高を嫌ってデザイナーを雇うことはないわけです。
日本人に甘えすぎていた日本の会社
良くも悪くも日本人は世界では比べものにならないほど圧倒的『いい子』です。
どんな災害があってもルールは守りますし、助け合います。
だからどんな難しい製品であったとしても、日本人はマニュアルをそれはもう丁寧に読んでくれるんです。
そうして使いこなす努力をしてくれます。
使いこなせなかったらそれは私の理解力が足りないせいだと思い込み、クレームを言うこともありません。
なんて素晴らしい人達なんでしょう。
でもこの気質が実はデザインを殺しています。日本の会社を甘えさせてしまっているとも言えます。
その結果、今日本の企業は世界と戦うことになった時にあっさりと負けたりしているわけです。
携帯電話なんてまさにその典型的な一例ですよね。
ガラパゴスと呼ばれ、独自の文化を築き上げていた業界が『iPhone』と言う黒船がやってきた瞬間に崩壊してしまいました。
なぜ崩壊したんでしょう?
私も『iPhone』買いました。買って思ったことはただひとつです。
あ、使いやすいわ。
たったこれだけです。
如何に日本の社会がユーザービリティ皆無な世界だったのか。実感した瞬間でもありました。
今こそデザインに向き合って欲しい
日本は世界でも類を見ないほどにデザイナーの地位が低い国です。
それはまさに技術最優先、ハード至上主義だからこその文化だと思います。
しかしハードの中にはソフトも必要です。
ものすごい技術の機械を作ったとしても、それを制御するソフトは必要です。
そしてそのソフトも今では市場要求によってわかりやすくすることが求められているはずです。
これこそがユーザービリティを意識したデザインのはじまりです。
ユーザーが製品やサービスに合わせる、マニュアルで覚える時代は終わりました。
これからはユーザーフレンドリーな製品、デザインが求められます。
世界は日本よりもこの分野、10年どころか20年先を進んでいます。
ですが日本国内にはそういったデザイナーはいないのかと言うとそんなことはありません。
しっかりと学んで知識を有したデザイナーはたくさんいます。
単純に双方でその力を使いこなしていないだけなんです。
もう一度言いますが日本はデザイナーの地位がものすごーく低いです。
そのため力のあるデザイナーの方も先方の要求に合わせるだけの「クリエイター」になってしまっている方も多いです。
そうしてしまっているのは日本社会そのものだと思いますが、デザイナーが『クリエイター』のままでは変わるものも変わらなくなってしまいます。
双方で変わって新しく進化する。そうして日本独自の斬新なユーザービリティが生まれる日が来ればいいなと思います。